2020年 桑名旅行記1
三好長持:皆様、こんにちは。
前回のシリーズはいかがでしょうか。
今回から桑名への観光の記事を記していきます。
三好長持:いったん、名古屋駅に行きました。ひのとりが名阪近鉄特急を占める
前の状態です。
日根野春香:そうですね。2020年10月までにひのとりに置き換えられています。
芥川明子:一方で、200円特急料金に追加されていますわ。
後日、乗車なされましたわね。
三好長持:しました。ロッカーはありがたいものです。
日根野春香:お手洗い前のロッカーは重宝しています。個室に入ることになれば、
別ですね。
三好長持:そんな名古屋からは急行で乗車します。経済圏を1にしているところ
同士です。
三好長持:桑名駅から東に歩いて、桑名城址である公園へとやってきました。
日根野春香:桑名城の役割を果たしたのは伊勢長島であり、機能が移転してきました。
築城したのは大多喜から移封してきた本多忠勝です。
それほどの猛者が築城したといえます。
芥川明子:隣が尾張藩の名古屋と天領(幕府領)の四日市ですわね。
外様大名を置けませんわね。
日根野春香:江戸時代の東海道は京都から江戸、東京まで外様大名の領地を通らずに
済むように設計しているといえます。
芥川明子:ゆえに、津を通らない構造になられていますわね。
三好長持:桑名城には当初天守閣がありましたが、のちには神戸櫓を天守閣の
代わりとして用いていました。
日根野春香:幕府へ届け出することが面倒であったこと、
財政難と平和で天守閣を再建する必要性を感じなかったことが挙げられます。
三好長持:なお、戊辰戦争の時には桑名城の象徴であるやぐらを破壊されました。
伊勢志摩の最北といってもいいところに県庁所在地を設定する意味が
なかったのかもしれません。
三重という地名は四日市を含む郡の名前です。
三好長持:それでは、皆様、いかがでしょうか。
仕事やアレルギー、YouTubeで体力、時間と余裕を失っている日々です。
日根野春香:年度の代わりだからこそ、感染症にかからないようにする必要は
あります。確実に感染症の脅威は増加していますから。
芥川明子:理解いたしました。次回は何かの渡しと治水ですわ。
またの機会にお会いできるのを楽しみにしております。